川崎の事件について。
1.まず初めに
まず、この記事を書く前に。私は亡くなった方と直接の交流はありませんが、同じラップを好む者として純粋に悲しいです。
お悔やみ申し上げます。どうか安らかに。
2.事件の概要
知らないという方もいると思うので、端的に事件の概要を説明します。12/19に、神奈川県川崎市でラップバトルの罰ゲームとして高校生が川に飛び込んで亡くなってしまったという痛ましい事件があったのだ。
ヘッズやHIPHOPに興味のある人達はもちろん知っているだろうし、テレビなどでも報道されているので普段興味のない人でもこのニュースを知っている人は多いだろう。
この記事でも取り上げられてるように、Zeebraさんを初めとする大物から若手までたくさんのラッパーがこの事件に対して見解をツイートし、物議を醸している。
3.私が感じたこと
ここからはヘッズとしての歴も長いとはいえず、プレイヤーとしては三人前どころかスタートラインにも立っていないような私が言っても説得力がないというのは承知の上で書かせてもらおうと思う。
私は今回の事件を通じてヘッズからプレイヤーまでヒップホップに関わる全ての人々が持っているはずの自分なりの「ヒップホップの定義」を見直すべきだと思うのだ。
「ヒップホップの定義といっても人によって違うだろう!」
それはそうだ。これはよくバトル等でも争点となる内容だろう。以前のニート東京でJinmenusagiさんがおっしゃっていたようにラップは「価値観のプレゼン」なのだから、すれ違いがあって当たり前だし、今まで生きてきた時間も違えば環境も違うし、触れてきた音楽・情報も違うのだから価値観とは必然的にそれぞれ違うものなのだ。しかし、ヒップホップの定義の根底にある「ヒップホップの精神」は誰しも同じ。というのは言い過ぎかもしれないが似たものを持っていいるのではないかと私は考える。
「じゃあそのみんな持ってるヒップホップの精神ってなに?」
正直なところうまく言い表すことができない。結論を急いでいた方には申し訳ないが、分からないのではなくうまく言語化ができないのである。
「じゃあせめて説明してよ!」
分かった。今回の事件においていうならば、ラップバトルで負けた友達を罰ゲームとして真冬の川に飛び込ませて死なせてしまい、「ラップバトルの罰ゲームで高校生が死んだ」とニュースで報道されることが本当にヒップホップなの?ということだ。
確かに本人たちは友達が死ぬことは予見していなかっただろうし、このように大々的に報道される未来があることなんて考えてもいなかっただろう。しかし結果としてこのように報道され、少なからず「ラップバトル」が世間に悪い印象を持たれてしまっている。
ヒップホップを知り、そのカルチャーの本質を知っている私たちは「ラップ」という文化に対して悪い印象などを持っていないし、むしろラップに救われた、あるいはラップで稼ぎたいと思っている人も少なくはないだろう。だから私たちは今回の一件でヒップホップを嫌いになることなどはない。だが世間は違う。世間には確実にヒップホップに対してマイナスイメージを持っている人が大勢いるし、今回の事件でさらにマイナスイメージがついてしまったのではないか。
ヒップホップに関わっている人の周りには必然的にヒップホップが好きな人が集まってくるわけで、この記事を読んでいただいているような人の周りにはマイナスイメージを持っているような人は少ないだろう。だから実感がある人は少ないのも仕方がない。だから私が断言する。確実に世間は「ラップ」に良いイメージは持っていない。
そこで今回の事件が起きたのだ。
「結局今回の事件の何がヒップホップじゃないの?」
強い言い方になってしまうのかもしれないが、結果として世間の評価を下げ、ヒップホップの発展の邪魔をしてしまったことだと思う。
3の初めで触れた通り「ヒップホップ」というのは人それぞれなので、「身内で楽しければいい」とか「なんで世間のウケ気にしてんだよ」とか「売れるのが正義じゃない」なんていう意見が来るのは承知の上だ。
しかしこれからラップの評価が世間でどんどん低下し、新規のヘッズが獲得できなくなってしまえば日本のヒップホップは下火となっていくだろう。
だからと言って私は、「ヒップホップの敷居を下げ、世間になじんでいくべき」とは言っていない。今までヒップホップという文化が発展してきて、そんな中でも変わらずに受け継がれてきた「ヒップホップの本質」を次の世代に継承していくべきだということだ。
ヒップホップとは下から上に成り上がることができる文化だと思う。
マイク一本で人生を変えることもできるし、知名度が低くても実力さえあれば簡単にジャイアントキリングできてしまう文化なのだ。
しかし、世間から拒絶された文化になってしまうとそのヒップホップ本来の特色が失われてしまう。限られたリスナーの中でしか共有されない音楽になってしまう。
ヒップホップの評価を下げることはヒップホップの、そしてヒップホップに関わる全ての人の未来を潰してしまうことに繋がりかねないのだ。
4.まとめ
今このシーンに関わっている人にはヒップホップに救われた・あるいは心を動かされたという人も多いと思う。今回の事件を通じて、そういう自分の中にある純粋な「ヒップホップの精神」を思い出すべきだと思う。そしたら今後、私たちのとるべき行動は決まってくるはずだ。
今回の事件を乗り越えて日本のヒップホップのシーンがさらに盛り上がっていくことを、一人のヘッズとして心から願うばかりだ。
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